デンマーク王妃 (メアリー王妃)とは?経歴や学歴 出身大学高校中学小学校はどこ?などについてご紹介します。
2024年1月14日、マルグレーテ2世により夫・フレデリック王太子が国王に即位したことに伴い、メアリー王太子妃もメアリー王妃となりました。
メアリー王妃は、どんな学校に通い、どんな風に育ったのでしょうか?
デンマーク王妃 (メアリー王妃)のプロフィール
全 名: Mary Elizabeth
旧 名: メアリー・エリザベス・ドナルドソン(Mary Elizabeth Donaldson)
生年月日: 1972年2月5日
出身国: オーストラリア タスマニア州ホバート
配偶者: フレデリック10世
子 女: クリスチャン、イサベラ、ヴィンセント、ヨセフィーネ
父 親: ジョン・ダルグレイッシュ・ドナルドソン
母 親: ヘンリエッタ・クラーク・ドナルドソン
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の経歴
2024年1月14日 マルグレーテ2世により夫・フレデリック皇太子が国王に即位したことに伴い、メアリー王妃(Dronning Mary)となりました。
2004年以来、メアリー王妃は、文化、ファッション業界、人道援助、研究と科学の支援、社会および健康など様々な分野で支援に取り組んでおり、また、世界保健機関ヨーロッパ地域事務所を通じて『抗肥満プログラム』の支援にも携わっています。
2022年9月19日
イギリスで行われたエリザベス2世の国葬にイギリス外務省より招待状を受け、デンマーク王室は9月13日にメアリーが義母であるマルグレーテ2世、夫・フレデリック皇太子とともに参列する発と表したが、後にイギリス側が参列者の同伴は1人までとし、メアリーには誤って招待状を送付してしまった旨を発表。
メアリー王妃は、直前で招待状を取り下げられてしまい、エリザベス2世の国葬への参列は叶わないませんでした。
2019年10月2日 『リグスフォースタンダー(rigsforstander)』(国王または後継者が国外にいる場合に機能する摂政)に任命される
1972年のイングリッド女王以来、王室出身でない初めてリグスフォースタンダーの地位に就いた人物となりました。
2011年1月8日 1男1女の双子、ヴィンセント王子とヨセフィーネ王女を出産
2008年 デンマークの雑誌『Alt』の『ウーマン・オブ・ザ・イヤー』に選出される
その賞金を慈善団体に寄付
2007年 社会団体『メアリー財団』を設立
2007年4月21日 コペンハーゲン大学病院にて、イサベラ王女を出産
2005年10月15日 コペンハーゲン大学病院にて、クリスチャン王子を出産
2004年5月14日 コペンハーゲン大聖堂でフレデリック国王(当時王太子)と結婚
2002年9月5日 – 2003年9月24日 フレデリックとの交際が本格化すると、デンマークへ移り、コペンハーゲン近郊のマイクロソフト社・『マイクロソフト ビジネス ソリューションズ(Microsoft Business Solutions)』 の事業開発のプロジェクト コンサルタントとして働く
2001年11月15日、デンマークの週刊誌『ビルド・ブラデ(Billed Bladet named Mary as Frederik’s )』がメアリーをフレデリック王太子のガールフレンドとして公表
2000年 シドニーオリンピック開催時に、シドニー夏季オリンピックに出席中の当時フレデリック・デンマーク皇太子と、シドニーのパブ“スリップ・イン”で王太子であることを知らずに出会いました。
当時まだ王太子だったフレデリック国王が、慎重にオーストラリアを数回訪問し、2人は遠距離恋愛を続けました。
2000年6月、オーストラリアの小規模代理店である『ラブ ブランディング』に移り、短期間、アカウントディレクターとして働く
2000年 オーストラリで不動産会社『Belle Property』 の営業部長および経営チームのメンバーとなる
1999年 シドニーの国際広告代理店『ヤング & ルビカム(agency Young & Rubicam)』のアカウント ディレクターに就任
1998年 母親の死から半年後、退職し、アメリカとヨーロッパを旅行
エディンバラ(Edinburgh)では、ラップ コリンズ ワールドワイド(Rapp Collins Worldwide)でアカウント マネージャーとして 3 か月間く
1996年 『Mojo Partners(Mojo Partners)』にアカウント マネージャーとして働く
大学卒業後、広告業界で働くためにメルボルン(Melbourne)に移る
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の学歴 出身大学はどこ?
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の出身大学は、『タスマニア大学(the University of Tasmania)』です。『法律』『商学』を専攻しました。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、1990年に入学し、1995年5月27日に商学士と法学士を合わせて取得して卒業しています。
所在地 | Churchill Avenue, Sandy Bay, Hobart Tasmania Australia |
WEBサイト | https://www.utas.edu.au/ |
『タスマニア大学 (UTAS)』 は、1890 年に設立された公立研究大学で、オーストラリアで 4番目に古い大学です。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の学歴 出身高校はどこ?
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の出身高校は、『ホバート カレッジ(Hobart College)』です。
『ホバート カレッジ(Hobart College)』は、オーストラリアのタスマニア州(Tasmania)ホバート(Hobart)郊外にあるネルソン山(Mount Nelson)にある公立高校です。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、1988年に入学し、1989年に卒業しています。
所在地 | Olinda Grove Mount Nelson, Hobart, Tasmania Australia |
WEBサイト | https://hobartcollege.education.tas.edu.au/ |
1913年に、『ホバート高校(Hobart High School)』として設立され、1965年に『ホバート マトリキュレーション カレッジ(Hobart Matriculation College)』に改名され、その後『ホバート カレッジ(Hobart College)』に改名されました。
『ホバート高校(Hobart High School)』には、 11年生と12年生が通っています。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の出身中学校はどこ?
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の出身中学校は、『タローナ中学校(Taroona High School)』です。
『タローナ中学校』は、オーストラリアのタスマニア州ホバート(Hobart)郊外・タローナにある公立の男女共学の中学校です。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、1984年に入学し、1987年に卒業しています。
所在地 | Meath Avenue Taroona, Hobart, Tasmania Australia |
WEBサイト | https://taroonahigh.education.tas.edu.au/ |
『High School』という呼ばれていますが、日本でいう中学1年生から高校1年生にあたる7年生から10年生までの生徒が通っています。
オーストラリアでは、日本のように中学校3年高校3年ではなく、中学校が4年間、高校が2年間なんですね。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)の出身小学校はどこ?
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、父親の仕事の関係で、1974年にアメリカ合衆国・テキサス州ヒューストンの『クリア レイク シティ小学校(Clear Lake City Elementary School)』に入学し、初等教育を始めています。
所在地 | 1707 Fairwind Rd, Houston, TX 77062 アメリカ合衆国 |
WEBサイト | https://clearlakecityes.ccisd.net/ |
その後、1975 年から 1977年にかけてオーストラリアのタスマニア州(Tasmania)サンディ ベイ(Sandy Bay)に移住しています。
移住後は、まず初めに『サンドベイ幼児学校(Sandy Bay infant school)』に通い、
1978年から1983年まで『ワイメアハイツ(Waimea Heights)』おそらく『ワイメアハイツ小学校(Waimea Heights Primary School)』に通っていたと思われます。
所在地 | 12 Balfour Ct, Sandy Bay TAS 7005 オーストラリア |
WEBサイト | https://www.waimeaheightsprimary.education.tas.edu.au/ |
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、アメリカ合衆国で小学校に1年ほど通い、その後、オーストラリアで小学校に通い卒業しています。
いずれにしても母国語である英語で勉強できたのは幸いですね。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)とは?経歴や学歴は?まとめ
デンマーク王妃 (メアリー王妃)とは?経歴や学歴 出身大学高校中学小学校はどこ?などについてご紹介します。
デンマーク王妃 (メアリー王妃)は、オーストラリアのタスマニアで生まれ、一時アメリカの小学校に通うことになりましたが、その後は大学卒業までタスマニアで育っています。
また、フレドリック国王を結婚するまでは、様々な仕事に従事していたキャリアウーマンでもあるんですね。